2019年04月15日(月) 
先日発表しました丸岡城天守の調査成果。現在の天守が寛永年間のもとのいうことで、最古じゃなくて残念とおっしゃる声も聞かれる一方、最古でなくても良いお城で大好きとの声もいただき、ありがたい限りです。ツイッターで見つけた「最古じゃないけどサイコー」を勝手に合言葉にして頑張っていきたいと思います。
実際には、以前から最古説と最古でない説の二つが唱えられていたことは有名な話。あくまでも現在建っている建物を調べると、木造部分は寛永期と判断するのが妥当だろうという結論です。
一方で、様々な調査を総合すると、今の天守よりも前に何らかの建物が建っていた可能性が指摘されています。では一体どのような建物だったのか?天守と呼べるようなものだったのか?謎がますます深まったと言っていいかもしれません。

年代の話題に隠れてしましましたが、大きな発見がひとつ。
丸岡城天守は昭和23年の福井地震で倒壊し、修理されましたが、そのことが少なからず評価を落としているのではとの見方がありました。ところが、新たに見つかった地震前の修理記録と、地震後の修理記録を丁寧に比較したところ、現在の天守の姿かたちは地震前のものとほぼ同じことがわかりました。
地震前の解体修理では、解体の過程で詳細な調査と検証が行われており、できるだけ本来の姿となるように修理されていたことがわかりました。これはつまり、現在の天守の姿かたちは、江戸時代にあった丸岡城天守そのままと考えて良いのです。
さらに、柱や梁などの主要部材も70%以上が江戸時代からのものとわかっています。
このことから、丸岡城天守は姿かたちだけでなく主要部材も江戸時代からのものが残っている貴重な建物であり、その価値は地震による倒壊を経てもなお、変わっていないと言えるのです。

地震前の修理工事において詳細な記録を作成した当時の修理技術者、地震後という困難な時代に修理にあたった修理技術者、古材を最大限利用する確かな技術を持った職人たち。
今の丸岡城天守があるのは、こうした先人たちの努力の賜物であることも忘れてはならないのです。

日本の文化財建造物は、多くが木造であり、周期的に修理することによって守られてきました。それは優れた修理技術者と職人の技があるこそなのです。この文化財建造物とその修理に携わる人の輪こそが、多くの文化財建造物が今に継承されている所以であり、日本の文化財建造物保護のありようそのものではないでしょうか。
近年熊本城をはじめ、災害による文化財被害も多く発生しています。ですが、今から60年以上前に、丸岡城天守は福井地震で被災し、復活しました。そして、その価値は何ら変わっていないのです。
この事実を今こそ広く皆様に知ってほしいと思います。

閲覧数69 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2019/04/15 15:01
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